挑戦している人や企業にフォーカスし、様々なことについて話を聞くインタビュー記事。今回はスノーボードジャーナリストにしてスノーボードメディアBACKSIDEの編集長を務める野上大介さんです。
野上さんと言えば世界的にも有名なスノーボードマガジンの老舗、TRANSWORLD SNOWboarding JAPANの元編集長。12年間勤めたトランスワールドジャパンにおいて実に10年間同誌の編集長を務めました。
その後、トランスワールドジャパンを退社し、スノーボードメディア「BACKSIDE(バックサイド)」をローンチ。テレビでもスノーボード競技の解説やコメンテータをするなど、活躍の場を広げており、最近では平昌五輪の男子ハーフパープの解説を務めたことも記憶に新しいところ。
前編では主にビジネスに関することについてお話いただきました。後編では、スノーボードのことや、BACKSIDEを通して世の中に伝えたいことなどを伺います。
ハーフパイプ競技の移り変わりと現状
「生きる伝説」と称されるテリエ・ハーカンセン(BACKSIDEより引用)
1998年、長野五輪で初めてスノーボードのハーフパイプが公式種目となった時、様々な事情から、多くの世界的トップライダーたちが五輪をボイコットしました。以前であれば五輪は必ずしも世界最高峰の舞台ではないという見方があったかと思いますが、ライダー達にとって五輪というものの存在価値は、その後どのように変化していったのでしょうか?
長野五輪の時、スキーヤーには支配されたくない※1とかジャッジの問題※2で、当時のフリースタイルスノーボードにおいて多大な影響力を持っていたテリエ・ハーカンセンをはじめとする、多くのトップライダーが出場を辞退しました。このことが、五輪とスノーボードの関係にしこりを残したことは事実です。
しかし、その後2002年のソルトレイク、2006年トリノ、2010年バンクーバーと回を重ねるにつれ、世界的にトップライダーと呼ばれる人間はみな五輪を目指すようになりました。
五輪はやはりスポーツの頂点ですから、そこに出場したり、メダルを取ることにより名誉を得ることができます。もちろん、五輪における中心世代が若年化したことにより、過去のそうした事実をリアルタイムで知らないため、問題意識がないスノーボーダーが増えてきたというのもあります。例えば、平野歩夢は長野五輪の年に生まれているため、幼い頃から五輪競技としてのスノーボードを見ています。
- ※1 スノーボードが五輪競技になった時、IOC(国際オリンピック委員会)はスノーボードをFIS(国際スキー連盟)の管轄とした。当時FISは、スノーボード人気の高まりに脅威を感じ、五輪競技化に対しては反対の意思を示していた。もともと、スノーボードには国際スノーボード連盟(ISF)という、スノーボーダーたちによって築き上げられた組織があり、競技や大会に関する様々な基準を設けてきた。言うまでもなく、スノーボードをリードし、五輪競技にまで押し上げたのはISFであった。こうしたことが、スノーボーダーのFISに対する反発心を強めた。さらに五輪を管轄することとなったFISは、五輪出場のための選考大会を、FIS主催の大会に限るとし、選手を囲い込みはじめた。これにより、ISFは次第に選手とスポンサーを失い破綻へと追い込まれた。
- ※2 管轄団体が異なるためにジャッジングシステムも異なる
競技自体のレベルに関しての変化はいかがでしょう?
ご存知の通り、長野の頃に比べれば、ハーフパイプ競技における技の難易度は加速度的に高まりました。そんな中、競技は次第にフォーマット化され、「これをやらないと勝てない」というものが生まれました。五輪で上位を目指すのであれば、1年中同じ技を練習しなければならないわけです。
スノーボーダーの中には、バックカントリーを滑り、映像制作を活動の中心とするライダーも多数いますが、現在の競技レベルでは、そういったこととの両立が困難な状況にあるということでしょうか。
その通りです。スノーボードの本質である自由の追求と競技の両立が可能であったのは、おそらく2010年のバンクーバー五輪が最後だったと考えています。もちろん、当時でさえ、それらを両立させていたのは國母和宏くらいでした。
本来、スノーボードは遊びから生まれたスポーツであり、自由なものです。例えば、バックカントリーでは、滑る場所にさえ、その人のスタイルが出ると言われ、さらに、どういうラインを刻んで、どういう技を出すかなど、ライダーの表現力に価値が生まれます。表現者という意味では、スノーボーダーはアーティストに近いかもしれません。
それに対し、五輪をはじめとするコンペティションは、決められたルールの中で、競技としてスノーボードをやらなければなりません。そして、日々レベルは上がっているわけですから、当然、制約も多くなります。つまり、競技に参加するということにより、「自由で格好良くあるべき」という、本来スノーボーダーが持つプライドを捨てなければいけません。「1年中同じ技を練習していて何が楽しいんだ」などと揶揄するようなスノーボーダーが存在するのはそのためです。
コンテストライダーとして新たな価値を生み出した平野歩夢
BACKSIDEより引用
平昌五輪直前に発売されたBACKSIDE ISSUE5では、「WALK TO THE DREAMー夢への歩みー」ということで平野歩夢選手にインタビューされていました。野上さんは平野選手の活躍をどのように捉えていますか?
最高に格好良いと思っています。
今回歩夢をずっと追いかけてきましたが、インタビューした時、彼はこう言いました。
スノーボーダー的に言えば、今自分はダサいことをやっているかもしれない、でも制約があるからこそ注目されると。
さらに、多くのライダーがするように、バックカントリーにおいて自分の映像を残すなど自由を追求するスノーボードは後からでもできる。今の自分の立場でしかできないことを考えた時に、それは、制約のある中で飛び抜けた滑りをすること、そしてコンテストシーンの中で自分という存在を確立させていくことだと。
そして、平昌では、金メダルこそ取れませんでしたが、その「飛び抜けた滑り」をやってのけ、唯一無二の存在感を確立しました。まさに有言実行ですよね。
決勝の滑りを間近で見ていましたが、色々なことを思い出し、正直、胸にこみ上げるものがありました。
端的に、野上さんにとって平野選手のすごさとはどこにあると考えていますか。
スノーボーダーの中には、「自らのスタイルを貫く生き物であるべき」というちょっと凝り固まった考え方があります。國母和宏の腰パンではないですが、彼はあの時「自分のスタイルにこだわるスノーボーダーとしての正装」をしたまでです。そういう「スタイルにこだわる」部分を歩夢は受け継いでいるところがあります。
例えば、ライバルであるショーン・ホワイトはテレビゲームやガムのキャラクターになっていますし、より一般的なシーンに対して自身の価値を訴求していますので、当然のことながらメディアへの露出も多い。
それに対し、歩夢はそういう部分でスノーボーダーらしさを貫いていると思います。彼の言動を見ていれば分かると思いますが、必要以上に愛想を振りまくことはしないし、おべっかを使うようなこともありません。歩夢のそういう部分がクールだとも言われています。だからこそ、スノーボードの世界で、彼のことを否定するようなライダーはほとんどいません。
スタイルや格好良さを追求したうえでメダルを取り、その上で今の国民的スターという立場も手に入れたわけですから、歩夢はスノーボードにおいて新たな価値を生み出したと言っても過言ではありません。
平昌五輪を振り返り
今年行われた平昌五輪についてお聞きします。野上さんはTBSで男子スノーボードハーフパイプの解説も務められ、実際間近でご覧になっていたかと思いますが、ジャッジに関してはどのような印象を受けましたか?例えば、平野選手の2本目の滑りが、仮に3本目であった場合、結果は違っていたように思いますがいかがでしょうか?
勝負ですから結果が全てということになりますが、改めて主観ジャッジの難しさを感じました。
確かに、あの滑走が3本目だったらというのはあります。彼が滑り終わった後も多くの選手が滑走を控えていましたから、そういう意味で点数に余剰分を持たせるのはよくあるケースです。もしかしたら、それを上回る滑走をする選手がいる可能性がありますから。仮に、その時点で地球上最強ルーティンだったとしても100点は出せませんよね。
スノーボードのジャッジはとても複雑で、素人には分かりづらい部分があります。五輪やワールドカップなど、いわゆるFISの大会と、XGamesやUS OPENなどのプロの大会では、ジャッジングシステムが異なるとお聞きしましたが、どのような違いがあるのでしょうか。
五輪では6人の審判員が採点し、最高と最低を切り捨てた4人の平均で得点が決まります。しかし、基準は全て主観です。これに対しプロの大会では、技の難易度・高さなど4つほど項目を設け、項目ごとの点数を加算した上で、印象点も加味して全体の得点とします。
五輪においては全てが印象で決まるということですね。その場合、レベルに大差がなければ、後から滑った者の方が印象が強くなりそうなイメージがあります。
それは否めません。そういう意味で、ショーンは自分が最後に滑るように、予選から1位通過※しています。それに対して、歩夢は抑えて3位でした。
例えば、XGamesやUSオープンなど、スノーボードのプロの大会では予選を何位で通過しようが、決勝では1本目、2本目を滑った時点で得点が高い者が後から滑るよう、滑走順を入れ替えます。そうすることにより大会が盛り上がるためです。つまり、決勝の2本目を終えた時点で1位であれば、3本目は最終滑走者となるわけです。
五輪で金メダルを取るためには、FISとプロの大会の運営ルールの違いに対しても順応しなければいけません。もちろん、歩夢がそれを理解していなかったとは言いませんが、そういった面も含め、結果的にはショーンの方が試合巧者だったと言うことができます。
- ※五輪は予選を1位で通過した選手が決勝において最終滑走者となる。
BACKSIDEを通して発信し続ける、スノーボードの価値
野上さんがBACKSIDEを通して伝えたいこととは何でしょう?
先ほど国母和宏の腰パンを例に、スノーボーダーとしてのスタイルの話をしましたが、フリースタイルスノーボードの世界に生きてきた人間と、社会のいわゆる一般層、すなわち学校教育の中で育まれた価値観には大きなズレがあると考えています。
例えば、一般的にスノーボーダーとは、ちょっと不良ぽくて規則だったことが苦手、規律に従わないといったイメージを抱かれがちです。当たり前のことですが、悪いことをしていて世界のトップレベルにはなれません。
國母和宏も平野歩夢も、スノーボードという自由が尊重されるスポーツに幼い頃から夢中になり、ボードに乗れば大人と対等になれるというのがベースにあって楽しく続けてくることができたわけです。
しかし、五輪を目指すのであれば、当然、ナショナルチームに入らなければなりません。そして、ナショナルチームに入ると、そこにはいわゆる学校教育的な体育の世界が待っています。つまり、それまでとは真逆の世界です。
そこにズレが生じます。なぜなら、誰も正解など分からない自由なフィールドで、自発的かつ積極的に考えてきたからこそ強くなった選手達を、周りと同じやり方にハメようとするからです。「素振り100回、グランド10周」ではないですが、指導型の枠組みに彼らを当てはめるのはなかなか難しいことではないでしょうか。
ですから、時に反発が生じ、言動が社会問題となってしまうこともあります。僕はスノーボードの本質や価値を発信することにより、そういったズレを埋めたいと考えています。
スノーボードの素晴らしさ、価値とは何でしょう?
スノーボードは、五輪スポーツでありレジャースポーツでもあります。一部のコアな人からすればカルチャーでありファッションでさえあります。ウィンタースポーツとしての歴史は決して長くはありませんが、その歴史に対して、捉え方、関わり方がこれほど広く多様なスポーツは他にはありません。それほど、スノーボードは魅力的なスポーツと言うことができます。
また、150cmちょっとのスノーボードに乗ることにより広がる可能性とその先に見える世界があります。例えば、人の足であれば決して踏み入れることができないような場所を滑り降りることにより、自然に対して、改めて畏怖の念を抱いたり、自然を共有しているという感覚が芽生えます。それは、サーファーがビーチクリーンを目的として、自発的にゴミ拾いをする感覚に似ています。つまり、スノーボードという自然の中で生まれたスポーツだからこそ、それを通して育まれていくアイデンティティや人間力のようなものがあり、それこそが、このスポーツの本質、価値だと捉えています。
そして、五輪競技としてこれだけ注目を集めるようになった今だからこそ、それを伝えていかなければいけないと思っています。
野上さんは、全日本スノーボード選手権にも出場した経験を持つスノーボーダー。
スノーボードの本質や魅力を、他のどのスノーボードエディターよりも深く理解しているのは、そうしたバックボーンを持つからです。そして、スノーボードに携わる一部の人間にしか分からないであろうコアな部分も、分かりやすく噛み砕いて言葉とするのは、何よりも、自身が「人生においてこれ以上、のめり込んだものは他にない」言い切る、スノーボードへの深い愛情によるものです。
11月20日(火)にBACKSIDE ISSUE 7として「BURTON, SIMS, AND CRAIG KELLY ─フリースタイル温故知新─」を上梓。新刊では、スノーボードの黎明期における、老舗スノーボードブランドのプロダクトやスノーボードシーンに多大なる影響をもたらした伝説のライダー、故クレイグ・ケリー氏を取り上げ、フリースタイルスノーボードのルーツにも迫っています。
「スノーボードの情報を発信して、それが伝わっていく時に、少しでも楽しいと思ってもらえるような伝わり方をしてほしい」そう語る野上さんの挑戦はこれからも続いていきます。